過去のブログ(常識をぶち壊せ「四次元パーラーあんでるせん」)でマスターの不思議な力をご紹介しました。

2021年末、私は幸運にも再びあんでるせんに足を運ぶことができましたが、今回もとんでもない体験をすることになりました。

10年ぶりに呼ばれた

10月に入り秋の気配を感じられるようになったある日、突然「あんでるせん」が頭に浮かびました。

10年前に訪れて以来ほとんど思い出すことがなかったのに、なぜ突然思い出したのか、マスターに呼ばれたのか、何かのお導きか分かりません。

心の奥底からふつふつ湧き上がる衝動を抑えることができず、

「 すぐに行かなければ!」

気づいたら携帯を手に取っていました。

夕方の5時半ごろでしたが、一度目でつながり、マスターが電話に出ました。

いちばん早い空席は年の瀬も押し迫る12月26日でしたが、すぐにお願いしました。

これが宿命となる2回目のあんでるせんの始まりだったのです。

マスターの年齢は?

10年ぶりに訪れたあんでるせん。

階段を上り店内に入ると、コロナ対策で検温器を持ったマスターが出迎えてくれました。

久しぶりのマスターは全然変わらない。

前回は40~50歳の印象でしたが10年経っても全く歳をとっておらず、本当に若々しい。

昨年訪問した友人も「40~50歳くらいかな」と言い、いろんなブログを拝見しても40~50歳くらいだという声が圧倒的。

あるツイートでは、20年前にあんでるせんに行った人が当時「マスターは40~50歳くらいだった」と言っていて、

最近行ったときも「やっぱりマスターは40~50歳くらいだった」と言っていて、思わず笑ってしまった。

四次元の住人は時間の流れが私たちと違うのでしょうか。それとも歳をとらない超能力でもあるのでしょうか。

一瞬見えた四次元への瞬間移動

マスターは参加者から借りた小物を使って様々なショーを披露します。

マスター

どなたか指輪を貸してもらえませんか?

女性陣は慣れているのでしょう。すぐに出せるよう指輪を外していました。

マスターは集めた5~6個の指輪を小さな箱に入れました。そして軽く左右に「カラカラ」と振ります。

マスター

音が消えますよ。

マスターが言うと、音がフッと消えました。箱を開くと指輪がなく、みんなから感嘆の声が上がります。

私は入口から一番遠い最後列でしたが、そのとき見えたのです。

音が消えた瞬間、小さな金色の光が瞬時にカウンターの後ろに飛んで行ったのを。

こんな感じの光が「ヒュッ」と後方へ飛んで消えた。

四次元に移動する瞬間を目撃したのでしょうか。心の中で「あっ!」と叫び、全身が痺れました。

そのあと消えた指輪がマスターがつけていたネックレスに通っていたとか、カウンターの小瓶の中から出てきたとか、セロハンテープが貼られていたガチャガチャカプセルの中にあったとか、マスターはやりたい放題。

マスター

邪気があるので、浄化してお返ししますね。

女性陣に帰ってきた指輪を見ると、ピカピカに輝いている。

指輪ってこんなにキレイなのかと思うくらい、最後列からでもその輝きが分かります。

今度はお札を使ったショーが始まります。

私は一万円札を出しました。

マスターはそのお札を指先に立てたり、空中にヒラヒラと浮遊させたり、ペットのように移動させたり、好きに操ります。

マスター

お財布に入れておくといいことがありますよ。

お財布に大切に入れています

最後にお札にサインして返してくれました。

しばらくしてふと気づくと、財布をいれたお尻のポケットが温かい。

変だなと財布を出すと、なんと一万円札が熱を帯びて財布がカイロのようになっている。

指輪を返してもらった女性陣も口々に「温かい」と言っていました。

四次元を通ったものはエネルギーが上がるのでしょうか。

今回は生卵を使ったショーに驚きました。

番号を控えた千円札と生卵を100均で売っているようなジッパーケースに入れます。

少し振りジッパーを開けると千円札が消えている。

ここからが圧巻ですが、生卵を割ると中からドロッと卵にまみれた千円札が出てくる。もちろん番号も合っている。

このような目の前で繰り広げられる数々の不思議なショーに圧倒され、3時間があっという間に感じます。

本日の宿命の人

ショーの中で一番人気の「予言」。数多いショーの中で一番の目玉といわれ、当たった人は「本日の宿命の人」と呼ばれる栄誉に浴することになります。

カウンター席中央のお手伝いする方が、裏返しにされた番号札を引きます。

「えー、本日の宿命の人は…20番!」

なんと私です!!

マスター

「この紙の円のなかに、なんでも好きな絵と自分の名前を書いて」

時間もないので、慌ててマスターに見えないように座って描きました。書き終えて立ち上がろうとすると、

マスター

「戸田さん、名前が小さいから横にもっと大きく書いて」

見えていないはずなのに、なぜわかるのでしょう。店内がざわめきます。私は訝しながらも書き終えて渡しました。

マスター

「今日戸田さんがここでどんな絵を書くか、すでに分かっていました。」

カウンターの前に置いてあった財布から畳んだ紙切れを出します。開けるとお察しの通り全く同じ絵が!

下手くそな絵でお恥ずかしい・・・

店内に驚愕の声が上がります。しかも絵だけでなく名前の漢字まで当てられていました。予約のとき苗字しかお伝えしていないのです。

マスター

「戸田さんの絵の「Y」、これ意味があるでしょ。

その通りです。私が応援しているアメリカンフットボールのチームロゴ「Y」を書きました。マスターは気づいているのです。

マスター

お名前「たけ」という字も珍しいですね。荘園のしょうの草かんむりがないほうですね。

壮彦という名前も「たけひこ」と読んでくれた人は今までの人生でたったのひとり。

知らないはずの名前と漢字の読み方まで当てるとは、おどろきです。

マスター

「今日みなさんがここに集まることは宿命です。偶然ではありません。生まれる前から決まっていました。私たちはインターネットのように宇宙でみんなつながっています。目ではなく全身の細胞で見ようとすると、本質のほうからやってきます。だからみなさんのことが分かるのです。」

参加者は静まり返って耳を傾けていました。このお話を聞いてみなさんどのように思われましたか。

マスター

捉えかたは自分次第です。

その通りです。どう解釈するか自由です。

今回の「予言」、実は当たる予感がしていました。

宿命の人に選ばれたら、アメフトのヘルメットを描こうと前もって考えていたのです。

当たればいいなとか、当たってほしいなではなく、当たるなという感じ。そうなることに疑いがない不思議な状態。

でも「20番」と聞いたときはやっぱり驚きました。

慌てて描いたのが小さすぎて、すぐに手足を加えた結果がこれです。

この予言のショーについては「店内のカメラで見ているのでは?」という意見があるようです。もしそうならば、私の絵を見ながらにマスターも同じ絵を描いていることになります。

では、私が描いている間マスターは一体何をしていたのでしょう。

なんと「トトロ」の絵を上手に描いていました。

カウンターの財布にも手を触れていないことを、付け加えておきます。

そうです。捉え方は自分次第です。

自分のために力を使ってはいけない

なんでもお見通しのマスターのもとには、政治家や経営者、芸能人がお忍びで相談に来られるようです。小松菜奈さんも菅田将暉さんとの結婚の相談に来たとか。警察と協力して行方不明者の捜索もされています。

マスターの力をもってすればもっと稼ぐことができるのではないか、私の頭にはそんな邪な考えが浮かんでしまいます。

メディアに出れば有名になり高額な出演料が入ります。ラスベガスに行けばきっと億単位で稼げるでしょう。

でもマスターはそんなことは一切しません。

メディアへの出演は全部断っているそうです。

マスター

テレビは都合よく何とでもできますから。

宝くじの当選番号も判っているようです。

マスター

いつも新聞を見て宝くじの番号を当てる練習をしています。全部当たります。

でも買いません。なぜなら…

マスター

この力を自分のために使ってはいけないのです。

自分のために使えば、力がなくなるようなことを言っていました。

マスターは軽妙なトークでみんなの笑いを取りながら、しかし真剣にショーを進めていきます。

途中トイレに行ってショーを見逃がした人がいれば、その人のためにわざわざ再度同じショーをしていたことがありました。

見逃してほしくないからです。

マスターの力は、三次元の私たちの意識を上げるために、高次元の選ばれた人にのみ授けられた力なのだと思います。

だから、お金のためではなく、名声のためでもなく、命を削って数十年も続けている。

その日集まった人たちのために。

マスターに「宿命」をきいてみた

ショーが終わりスプーンを購入し、周囲に人がいなかったので、マスターに聞きたかった「宿命」について質問をしました。

マスター

宿命はある。宿命に出合うと気づくよ。ピンとくる。宿命に気づくことは大事じゃない。いま君がしていることが宿命だから、いまやっていることを頑張ることが大事。でも、今日君すごいよ。

短時間の会話がジーンと胸に刺さる。最後に褒めてもらえて嬉しかった。

宿命についてマスターの話を聞きたいと思って行ったら、自分自身が「本日の宿命の人」になるなんて、なんだか出来過ぎです。

宿命とは「生まれる前から決まっているもので、変えることのできないもの」

すでに決まっているということは、私たちに自由意志はあるのでしょうか。

脳生理学や脳認知科学の最新の研究では、私たちには自由意志はないことが明らかにされています。

脳が決定を下したのちに、それが「自分の意志」として意識にのぼるのだ、という研究結果なのです。

さらに、脳には意思決定をする「私」というものはどこを探してもいません。

命令を出す司令塔、社長が不在なのです。

私たちは自分で考え行動し人生を歩んできたというのはどうやら幻想のようです。

日常の記憶に残らない行動から進学や就職、伴侶を誰にするかまで選択肢はたくさん用意されているが最終的に何を選ぶかはすでに決まっていまっている。

その人がどんなストーリーの人生を歩むかは、生まれる前から映画のフイルムのようにすでに一コマずつずらっと用意されていて、

体感型(4D)映画よろしく、完全没入型リアル映画をシナリオ通りにただ体感しているのかもしれません。

多くの要素が複雑に絡み合った相互作用により世界のすべては自動運転で循環しています。

きっとマスターはそのことも見抜いていて、宿命と表現しているのでしょう。

どうせ決まっているのだから何をやっても無駄だとあきらめたら、それが宿命。

決まっているのならなんでも挑戦してみようと思えば、それが宿命。

何を選ぶか決まっているけど、そこには無限の可能性がある自由な世界。

マスターは言います。

マスター

宿命は変えられないが、運命はみなさんの解釈しだいで変えることができる。

起こった出来事は変わらないが、どんな人生かの解釈は自分次第で自由に変わる。

結局のところ、私たちはなんでも挑戦できる。どこまでやるかも自分の選択。

やってみて何が起こってもどんな結果になっても、ジタバタしないこと。

生まれる前から決まっているわけですから。

隣の男性との会話

ショーの終了後、私の隣で見ていた男性の「車で空港に戻るから一緒に行こう」とのご厚意に甘えることにしました。

男性は東京から来た会社経営者。

1週間前長崎への出張が決まり、電話したらちょうどキャンセルがあり予約できたのです。

直前に空席が用意されていたなんて、この人こそ「ザ・宿命」ですね。

空港までの道中、男性といろんな話をしました。

「60年生きて振り返ってみると、結局は人生のシナリオはほとんど決まっていたと思う。その時は分からなかったけど、ちょっとした出会いや出来事がポイントとなって行先を決めている、というか決まっていた。今日あんでるせんに来たのもそうだし、偶然はなくて全て導きがある気がする。小賢しいことをしてちょっと人生を弄っても結果は同じなんだ。」

「若い頃は自分のことばかり考えてしまうが、年を取ると”自分が”ではなく、人の役に立ちたいと思うようになる。誠実に生きること。利他の心で生きることが大切。」

あんでるせんには同じ価値観の方が集まるのでしょう。私もホントその通りと思うことばかりでした。

私たちは人生で出会うさまざまな苦難を、自分の力だけで乗り越えているわけではありません。長く生きて経験を重ねるほど、何か偉大な力が助けてくれるのを感じます。

男性は淡々と語ります。

「大昔の人たちは科学が発達していないからこそ、見えない力の存在を感じ、頼りに生きてきたんだ。科学が発達するにつれ、感じる能力が落ちてきているんだ。でも直感だけだと社会が混乱するし、科学も必要。どっちも必要なんだ。」

右脳と左脳があるのは、直感的思考と論理的思考の調和が人生や社会を構築するのに必要だからと考えられます。私は見えない力だけ盲目的に信じているわけではありません。

一方で論理では説明のつかないあんでるせんのような世界も、豊かで自分らしい人生を送るのに必要ではないでしょうか。つまり無限の可能性を信じるのです。

今回のあんでるせん訪問にどんな意味があったかわかりません。

しかし「宿命の人」になったこと、あの空間でみなさんと不思議な時間を過ごせたこと、空港までの車中で濃密な会話を交わすことができたことはすべて宿命。

今後の人生に何らかの影響があるはずです。

空港の待合席でショーの余韻に浸りながら思いました。

今日という一日は生涯忘れられないだろう。

きっとまた長崎へ来るのだろう。

自分に必要なときに戻ってくるのだろう。

なぜなら、帰り際に言われたからです。

マスター

また呼ぶから

マスターが製作した木彫り